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【実録!】スピリチュアルの廃人たちに気をつけて! 第一章

今日は、一部の新人スピリチュアルワーカーや新人セラピストたちのために

彼らが、心から迷惑して困っている問題を取り上げてみます。



精神世界のワークにおいて、


スピリチュアルワーカーの思想には、


どうも宗教的な考え方とそこから生まれていく正義感的な心理が無意識に入ってきているようです。
救うとか救わないとか・・・どういう神経なのでしょうか・・。




私は、無料相談とも掲げてもいないのに、
勝手にメッセージで相談してくる人たちがいました。


私の知り合いのセラピストさんたちの話では、
いきなり『チャネラーを目指してます!チャネラーを教えてください』っと宣言して、消えて去っていく訳のわからない人もいるっとのこと



私は平気で彼女たちを無視していると


頭が暇のせいか、時にこう言ってきます。

お客さんにならないと、疑問や相談に答えてくれないんですね。

嫌な人、残念な人、低レベルなエゴまみれの魂

お客さんにならないと、人を救わないんですね

っと、それまで構ってちゃん構ってちゃんのか弱い悲劇のヒロインぶってた人間が、すぐに気が変わって、人を見下したような上目線たっぷりのあほメッセージを送ってきたりもします



私から見れば、
自分で自分を救えるパワーあるんじゃん・・・人を見下して、自分でいい気になっているくらいのパワー・・・本当、バカみたい・・。

まるで、クレヨンしんちゃんのねねちゃんのリアルおままごとのようです。

私は、こういういきなりメッセージしてきて、なんでも答えて自分の問題を相手に任せられる勘違い野郎達を、またか弱い被害者意識なヒロインぶっているメッセンジャーを、

スピリチュアルの廃人と呼んでいます。




ワンネス教、
アセンション教、
ライトワーカー教、
スピリチュアルワーカー教、

そして、もっとも意識レベルが危険な
カルト陰謀教、



なんらかの書物や人の影響、エナジーヒーリングで、自分を見失い、
これらに意識や考え方がイっちゃってる人たち
そういう世界しか見えなくなってしまってる人たち、

彼ら、彼女たちは、

自分が思うようなライトワーカー


自分が思うようなスピリチュアルワーカー


つまり、自分が思う愛の正義のヒーロー


つまり、なんでも簡単に答えてくれる自分の愛のヒーロー



っと合わなければ、そのセラピストやワーカーを

低レベルな魂


エゴまみれの魂


お金でしか、人を判断しない悪魔


っと簡単に決めつけてくることがあるようです。


こういう方が、将来、ライトワーカー、スピリチュアルワーカーとやらになったら、
どんな幼稚な都合で、面倒な関係になることやら・・・・。


私も最近言われてみました。
『あなたそれでもスピリチュアルワーカー?笑』


私は答えます。


はい、私はあなたから見た悪魔でいいですよ!!



はい、私はあなたにとってエゴまみれの低レベルの魂でいいですよ!!



だからお願い!もう寝かせて・・・深夜三時だよ・・・怖い、気持ち悪くて眠れない・・・。





二度と現れないで・・・・お願い・・。



何か嫌な感じがして、寒気がして眠れなく、メッセージを開いてみたら・・・


あんなストーカーメールは久々ですね!

少し、テンションが上がってしまいました。




私は、大抵、相談がくるメッセージは、メッセージの内容を読む前に、
その人が求めている本当の愛やエナジー、波動、そして、繋がってる存在たちが見えてしまいます。




だから、自分が関わったら遠回りになる沼にハマっているような魂は無視します。
なぜなら・・・

その人は自ら、その人生を選んでいるからです。



それが好きなんです!悲劇のヒロイン、悲劇のヒーロー、か弱い被害者さん!



もしくは誰かに救ってもらいたい、誰かに自分を知ってもらいたいだけの人



本当はそういった悲しい幸せが好き好きで好きで、人生のレベルから変わる気がないのです。

そんな魂の声がすぐに聞こえてきます。








あまったれんな・・・。





誰かに救ってもらいたい人間をいろいろ見てきましたが、
そんな中でも最悪な人は、変わろうともせず、いつまでも救われ続けたいヒロイン達、ただ話を聞いてもらいたいだけの本当は闇大好きな人間です。

闇といえば話を変えて、続きの第二章では、ある実際のお話をします。


続きの第二章はこちらへ


愛と感謝を込めて
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太る、太っている人 (のほほんワールド)

ちょっと視点を変えると、実は違う世界が広がっていたりする、そんな日常生活での気づきをお届けする、のほほんワールドをお伝えしていきます。



太る、太っている人




久々の難解シリーズ、今年初ですね。

のほほんシリーズ・・・・・始まってから一年が経過しましたー。




これは、あくまで私が感じたお話です。



世の中には、二種類のデブがいると思います。


ひとつは、器と魂が小さいからこそ太っている人。

もう一つは、器と魂が大きいからこそ太っている人。




器と魂が小さいからこそ太っている人というのは

最も問題のあるデブです。


また、それはほとんどの人間に当てはまる場合もあります。


そう、エゴや悪い癖によって、溜め込んできたエネルギーにより太っていくデブのことです。

これはストレスによって太る体質を持っていれば、そんな方にもそのデブに当てはまってしまいますね。



体質を気にしまくったり、傷つくことを気にしまくったり、いろんな恐れや問題によってエゴや癖を生み出し、食生活やリズムが乱れていき、太っていきます。

そういう人間ほど、小さなプライドは高く、非常に弱い心を持っております。


たださえ、『デブ』 、『太った』と言われただけで本気で傷つくわけで・・・・。

だから、とってもダイエットに励む人たちって、細胞たちが窮屈なアパートに住んでいるように、無理に無理にストレスをためてぎゅうぎゅうになって住んでいるんですよね・・・。

それで、意識や感情の開放を行ったら、細胞たちは一気に膨張するかもしれません・・・・。

たまにおかしいくらいガリガリなアイドルや女優、エステシャンを見かけますが・・・・あれはどこにも行けなさそうで、活動できなさそうなお飾り物みたいですね。

それこそ、心は無駄に太っていることになるんですよ。


太っているは体が大きくても、まるで誰か小さい小人がそれを操作しているように見えてきます。


だから

『こんな小ちゃな人が、なぜこんなに無駄に大きいのだろうか?』って思う時があります。


自分が長年、否定していた自分、拒絶した自分を受け入れるのが、人生の大きな学びだったりします。


だって、自分を、真の自分から改善していこうと思うために、生きているのだから。





もう一つは、器と魂が大きいからこそ太っている人。


シャーマンや巫女さん的な体質を持つ人たちが、一番いい例です。


元々太っていなかった人が、自然と高次元や高い霊性の世界に手を出していくと、太っていくことはあります。


悟りや大きなエネルギーを得ていくことで、自分の質やエネルギーは大きくなり、

お母さんのように、大地のように、器が大きくとっても和やかで充実した性質になっていきます。


そうやって大きくなると、

魂から肉体へと反映され、愛やエネルギーをたくさん取り入れなけばならなくなり、

腕もお腹もぷっくりいっぱいに愛やエネルギーを取り入れていくことになります。

それは、赤ちゃんのようにお肌や細胞も生き生きしていて、健康で、とっても素晴らしいことです。



細胞たちは、余裕をもって和やかに生きている証拠です!


江原さんとかは、どんどん太っていってますねー。

自分が充実して幸せな証なのかもしれません。

それほど、神経質的なエゴがなく、大きな霊性の器を持っているのかもしれません。



そういえば、ケニアって、太っている女性が美人であると聞きました。

見てみると、みんな母親のような大きな太っている女性たちばかり・・・。

やっぱり、母親のようなエネルギーいっぱい、愛いっぱいの人たちに憧れるのでしょうね。



そういえば、

ココリコの田中さんが言ってましたが、

どうして、男性は巨乳好きが多いかというと、



動物は、メスのお尻を見ると交尾したくなるから、

それと同じように、人間の場合は、胸がお尻のように見せてるから、交尾したくなる。


っと言っておりました。


ケニアの美人は

お尻・・・つまり器が太っている人が多いように見えました。

太っている人が美人というのは、もしかしたら美人の原点・・・・なのかもしれませんね~


最近は、その魅力に気づく男性も多いせいか、愛とか輝きでいっぱいなぽっちゃり系女子が、どんどん結婚して言っているのを見かけますね。


本当の美女、美人って、心も体も健全で、輝いている美女のことなのかもしれませんね。






さあ、


無駄に太ってる人、無駄に痩せてる心のデブの人と


愛と輝きがいっぱいあって太った人、






どっちがいい?














それにしても、ロスから帰った以来、

太ってしまった・・・・・・。




☆最近開催予定のワーク☆

【体験会】愛と豊かさとスピ財産パワーを引き寄せるスピリチュアル・エレメント・ヨガ in 東京
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/entry-11842544158.html

アセンションワークとは?(注目のワークNEW)
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/entry-11464277872.html

願いを実現させるスピリチュアルカードリーディング講習会
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/entry-11843240170.html


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真実の愛とは

ちょっと視点を変えると、実は違う世界が広がっていたりする、そんな日常生活での気づきをお届けする、のほほんワールドをお伝えしていきます。




真実の愛とは?






真実の愛とはなんなのだろうか。



いろんな考えや経験をしてきた人間達やスピリット達や精霊たちが、


真実の愛というものを、自己の中で確立して語ってきたと思う。








どんな人でも受け入れる愛、


謙虚な愛、


相手を恐れない愛、


コミュニケーションから生まれる愛


仲間、


絆、


みんな一つである愛、




それとも、やはり恋愛や異性から生まれる愛なのだろうか。


恋愛、異性、セックスというものは


時に、人間が今現在予想もつかない未来や真実を変える奇跡の力がある時もある。


っと、思いがちであるが、それはただ、生命の生きる世界の中ではエネルギーが強いだけであって

それはミステリアスであると、思いがちである。


しかし、そのために生きて、幸せになる生き物は世界中にいるだろう。



それが、真実の愛のなのかもしれない。








いや、それはちょっと違う。









家族の愛・・・・。



スピリットだけでなく、魂だけでなく、DNAや肉体と言った繋がりまであり、

それは、ご先祖さんから受け継がれた全てでもあれば、それは宇宙と繋がっている、



”愛”





家族の愛が、自分の全ての愛を語っていて、

それは自分の過去、今現在、未来を語っている愛でもある。




それが真実の愛なのだろうか。





そう考えるなら、




”宇宙の愛”



だ。




宇宙の愛とは、


無条件の愛であり、




それが真実の愛というべきなのだろうか。




我々が生きている世界は、条件だらけの愛が飛び交い、


そんな世界に真実の愛というものは、存在しづらいといってしまうことになるのではないだろうか。






無条件の愛、宇宙の愛に満たされた人間が、


それが真実の愛と語ってしまっては、


自分はもう人間として生きる事を終えている宣言をしてしまうようなものだ。



人間のかっこをして生きているのに、人間として生きているのに・・・・なぜ。










では、




真実の愛とはなんのだろうか?







私が、覚醒プログラムの受講者たちに語り継がれる


『真実の愛』というものは、


限りなく大きなもので、




それは、ブッタやキリストといった人間達が語っていた


”一つの悟り”から得られる、気づきの一つである。



その気づき一つで、人というものは、大きく変わっていくのだろうと、


私は感じている。




神様は、真実の愛を知っているのかもしれないが、

真実の愛を知った先は何も知らない。


私はそれに気づき、

それはキリストもブッタも知らないことだと感じた。






だからといって、私はキリストやブッタを超えたような存在でもなければ、

それは私にしか見つけられなかった、ただの”悟り”の一つに過ぎないだけ。



これがどういう意味であるかお解りだろうか。



真実の愛というものは、


最初から、全てのものに存在しているということなのだ。








遠隔ヒーリング・聖母マリアの愛ヒーリング(残り限定4名様)
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/entry-11837808735.html


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死という存在

ちょっと視点を変えると、実は違う世界が広がっていたりする、そんな日常生活での気づきをお届けする、のほほんワールドをお伝えしていきます。



死という存在




今回ののほほんワールドは、とっても深いお話だと思います。

精神世界の真実を追求していく上で、極めて最端に関わってくる世界というべきか、

私は宇宙を創造した神様と、地球を管理している神様が行き来きしているデータを感じて、

気づきや悟りを探しているところでもあります。





私は、頭痛にあった真実を受け入れたら、そのネガティブな自分がずっと隠していた

本格的な深い真実を開いてくれたような気がした。

それは、いきなりふっと宇宙に存在する全知全能のような近い存在から降りてきた気づきにも感じられた。

ネガティブな自分が、それの柱になってくれたのだ。


彼が仲介になってくれた真実・・・・それは、




もしかしたら、死の存在って、存在しないのではないだろうかって。



人間というものは、死を考えることで、静かになり、黙祷の心に入ったかのように静まり、

時に悲しんだり、時に悔やんだり、時に精神的にネガティブな方でずれてしまったりするときがある。

その亡き存在と、自分の心に近ければ近いほど、自分という心には深い黙祷や深い感情が生まれる。

逆に自分が知らない人や自分にあまり関わりがなかった人の死を聞いても、人というものはあまり深い感情を生むことはなかったりする。

それが人間という本当の正直な心理ではないだろうか。


でも、人間というのは、集団や社会で生きていくうちに、

いつの間にか、死という言葉に重く感じたり、深い感情を生むものだと感じるようになっていった。


だから、そんなフィルタがあると、本当の人という心というのは、意外に混乱しているのではないだろうか?


ニュースで毎日毎日毎日毎日、残酷な死を聞いているし、

動物の死は世界中にたくさん起こっている。

ドラマや映画、ゲームでは、そんな残酷な死を創造したり、たくさんの人々はそれを見て、共感することで楽しんだり、喜んだりする人々もいる。


残酷な死を知っているのにも関わらず、人はそれは他人事に流し、動物であればそれを食べたりもしている。


そんな現実や真実を知って、その情報をきっかけに変に正義感を作り、感情を荒立てる人たちもいる。


これが・・・混乱だ。

事実、上記の話を聞いて、身近な死を経験したばかりの人間が聞いたら、深い感情に陥ったりするのではないだろうか。



一体、いつから人間は、死を重く意識するようになり、いつから死は悲しみや悔やみ、怒りを生んだりするようになったのだろうか。




高次元の世界から見れば、実は死というものは、重いものではなく、全く逆で非常に軽いものである。

死なんて、いとも簡単に起こすことが出来て、死というものは素晴らしいということでもある。

しかし、人の意識が作り上げた『死』というものが、魂を重くし、死後の世界ができてしまうのだ。




今まで関わってきたクライアント様の中で、

『家族は数年前に亡くなっている』という方もいれば、

『息子は数十年前に亡くなっております』という方がいた。


最初にその話を聞いたとき、

人というものは思わず

『それはごめんなさい。悪いことを言いました。』

っと謝ってしまった。


私は、形として謝ったりしたが、

本当の気持ちは、なんで謝る必要があるのか?って

どうでもいいなーって感じてしまった。


そんな話を聞いて、なぜわざわざ自分の心を黙祷しなければいけないのだろうか?


知らなかった事実である。

また、実際に会ったこともない。

それに、本当に存在したのかも分からない。



その時に重要なのは、その亡き者が、クライアント様に関わっているのかだけで、

亡くなっていようが生きていようが、どちらでもいいのだ。

ただ、その存在が不自然に傍にいれば、それは非常に問題があるのだ。


これが、せっかく自由になれた死者、もしくは生きている者を束縛しているクライアント様の問題でもあるということ。


ここまでお話を聞いた読者が、まだ私の言っていることが人間として非情で残酷と感じるならば、それはまだまだ死に関して学び、たくさんの気づきが必要だと私は思う。













高次元から見た、死というものは、

一段階の卒業のようなものだと思いました。


動物は、よほど人間の感情や思いに束縛されていない限り、死してすぐに次のステップへと光の世界へと行くのです。

例えどんなに愛する相手とのお別れでも。動物たちは愛するものより次の世界を望みます。
なぜなら、もっと愛せる、もっと学べる、もっと素晴らしい出会いがある世界に行くからです。
これは、イルカの世界を見ていると学べます。

また、それが生まれる前の魂本来の意志でもあるのです。






生きるということは

学ぶことなのです。



周りの死というものは、自分のための学びに過ぎません。


そう考えると、自分の捉えている死というものは、自分の学びでしかなく、死は存在しないのかもしれません。


その人の死を、いつまでも悲しんだり、ニュースが伝える残酷な事件、震災や大量生産のための動物、ペットの虐待の死などの情報を取り入れ、それにいつまでも悲しんだり、世界を憎んだり、後悔したり、笑顔やエンジョイを失ったりしていては、

魂の成長は止まったままです。


それらの死から生む、自分の心から何を学ぶか?

それが自分の人生という学びに過ぎないのです。


だからといって、周りの死と対面している人の気持ちを考えず接することはせず、

周りの死と対面している人には謙虚な心で支えることが、大切です。


そして、何よりも無視することも大切なのです。


死から生む気づきを受け入れ、自分がその気づきから強い力としてさらなる人生を歩めるよう、

その気づきから生む大きな幸せを決意できるまで、待つことも大切なのです。



他人が死して、人はさらなる幸せになれることに気づくこと。

これは、ご先祖様に感謝する意から学ぶ真意の一つです。




では、死というものは、どこに存在するのか?


それは、私の高校時代の校長先生の言葉が教えてくれました。

学園祭で、芸の途中である生徒が突如倒れ、亡くなりました。

その時、学園祭が中止し、亡くなったことを全校朝会で知らされました。

その時、覚えている言葉が、


死ぬということは、生きることでもあります。




私はこれが、死の存在だと思いました。

死ぬことが生きていることであること。

死もまた学びであること。

死後、魂は何を望むか?

それが生きている学びの最後の望みなのだと思います。


幸せを望むのか?

宗教の天国地獄の教えの通り、天国に行くのか、地獄に行くのか、

旅を望むのか?

人に対する恨みや悲しみを望むのか?

生きている人間に自分の存在や理解を望むのか?


これが死後の世界への選択なのです。



アセンション、大自然の動きを見ていると、

たくさんの命が大自然から溢れていっております。



戦争を繰り返してきた人間の偉大な歴史を哲学として見ていると、

死ぬものは敗者で、生きているものは勝者

という基礎の思想が当てはまりました。

果たして、そんな考え方を無意識に当てはめている歴史が偉大だとか哲学であるとか、

尊重すべきなのか・・・・。


上記で話したとおり、死というものは、

卒業であり、それは喜びや気づき、愛でもあるのです。

生死に勝ち負けを付けて生きてきた人間は、何も解っていなく、何も感じていないのだと思います。

もしそういう世界が実現していたならば、全生命が敗者であり、生きているものは不老不死の方法を考え、懸命に争い、永遠にそれを研究していたでしょう。


なぜなら、生死に勝ち負けを付けて生きてきたからこそ、さらなるたくさんの敵や恨み、悲しみが倍になって返ってくるからです。

アセンションや大自然の力によって、人間が侵害されることが大自然からの罰であるというスピリチュアルなオカルト思想は、生死に勝ち負けを付けてきた愚かな歴史の人物となんら変わらなかったりするのではないでしょうか。

大自然が起こしたたくさんの死は、アセンションや変化のための、その魂にも必要な死であったりして、共に肉体から離れた魂もアセンションをしていることもあるのです。


これは、大切な存在を亡くした家族を見ていると学べます。


どんなに生きる学びも知らぬままに、赤ちゃんの時から亡くなってしまおうと、

どんなに大切な父や母が途中で亡くなってしまおうと、

人というものは、家族という遺伝子がある限り、

存在が死しても、共に家族として学び生きていることは確かなのです。

また、その肉体から離れた魂も、共に家族と学んでいることも確かという真実なのです。


死だからといって、別れと決め付けるものでもなければ、悲しみや後悔を生むものでもないことは確かだと気づいていきます。



アセンション時代に近くなっていく時、

ニュースで見られた数々の芸能人の中で、

アーティストたちの葬儀は、皆楽しんで、お祭りのようにエンジョイしておりました。


本当は、死した者には祝福するため、皆パーティのように楽しむことが大切だったりするのかもしれません。

しかし、人間はいつの間にか戦争や深い感情で生きる事を繰り返すことで、死は喜ぶものではないと意識するようになったのでしょう。


この死者への祝福は、ご先祖様に感謝する気持ちの意から来ております。


また、あるスピリチュアル団体の思想をもとにした方々は、

自分が死んだら、葬式はしなくていいから

『もうあなたは死にましたよ!』

って大声で私に意識して言ってほしい

っという方々がおりました。

死を自覚させるため、さらなるステップへ行くため、その魂のために、遺族たちが気づかせ光に導く必要がある。

これが最も大切な行いであると言っておりました。


これから、新しい時代に沿って、死というものは、マイナスの深い感情が不必要になり、本当は何が大切なのかが大きく見えてくるでしょう。


毎月、スピリチュアルの茶話会やイベントを開いております☆
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/theme-10049376654.html









※過去世のカルマがなければ、人は比較的かなり楽に、この『死』に気づけるでしょう。


人というのは、何千年と戦争を繰り返して生きてきたわけで、そこから受け継いだ魂のDNAや先祖のDNA、そして過去世が、死というカルマをそう簡単に許せないのかもしれませんね。




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お金か?愛か?

ちょっと視点を変えると、実は違う世界が広がっていたりする、そんな日常生活での気づきをお届けする、のほほんワールドをお伝えしていきます。





お金か?愛か?







お金と愛、どちらが大切でしょうか。







基本、集合意識の中で、

お金の意識レベルって、非常に低いのではないかと思います。


お金に変えられないものはないと、考えてしまったら、

それは嘘つきな人生の始まりだと私は思いました。



そんな発言を聞いたお金の方が大切って考えている人間よ、誤解はしないでもらいたいです。


本当に、真からお金が大切な人生を思う人間というのは、

まさしく

『詐欺師』なのだと、私は思うっと言いたいのです。

お金に変えられないものはないのですから、罪を犯してまでお金を得るのだと思います。



また

お金が大切だと答える人間のほとんどは、

社会から束縛されていることを意識して、答えるのでしょう。


社会で生きるためにお金があって当然のように思いますが、

その時点で意識レベルというのは、非常に低い場合もあるのではないかと思います。


だって、社会のレベルに必死についてくほど、お金に対しての恐れを掴まれてしまうほどの意識だからです。

お金の恐れというのは、社会に対する恐れです。


私の言う社会というのは、非常に意識レベルが低い部分です。


家に住むための意識、

水や電気を使うための意識、

会社で働く意識、

交通機関を利用する意識、

ご飯を食べる意識、

服を着る意識、

出会いや娯楽のために使われるお金の意識


これらは社会レベルで創られた、社会レベルの低い規範の意識だと思います。


その社会レベルを意識するということが、お金を意識している一つだと私は思います。



そこで、お金を恐れ、お金に支配されているか・・・・という問題です。



愛よりお金が大切だっと判断する人間ほど、

実は、お金に対して無意識に恐れ、無意識にお金に支配されているのです。

また、お金を意識して、安定していれば安定しているほど、実はお金を恐れていることに気づかないでしょう。

これが低い社会レベルの意識だと思います。






セミナーやヒーリングを受けてきて出会ってきた人で

よく、こういう発言をする人を見かけます。



このセミナーは10人客が来ているから、

2万×10人で、20万も稼いでいているんだな。

20万は時給にすると、2.5万円か。

良い儲けだなー



なぜ、わざわざ時給にして計算したり、月給計算したりして、お金でしか見ないのだろうか・・・・。

なぜ、セミナーの価値を考えようとしないのだろうか・・・。


その時、私はとても息苦しくなりました。


なぜなら、そう言ってる人間ほど、飢餓のように見えて、一秒一秒を小さい手で必死に小銭を集めているかのように見えたからです。

その時は、とても息苦しくて、とにかくそんな自分はなりたくないし、そんな人とはつながりたくないと私は思いました。

きっとそういう人間は、時間や理論でお金を考えて自分を息苦しくさせて生きてきた人間なのだろうと思ったりもしました。


お金に支配されて、とことんお金にエネルギーを吸い取られているのだろうと思います。


また、

『~で飯を食っていく』

という言い方は、私にとってどうしても下品に感じます。

私のお友達の億万長者さんもそのような言い方をしておりましたが、

それは謙った言い方でもあれば、当時のリーマンだった私に対して合わせた言い方でもあったのだろうと思います。

そういう気遣いや合わせた言い方でならわかりますが、

ほかの人にアドバイスや会話の中で

『~で飯を食っていく』

『ヒーリングで飯を食っていく』

『セミナーで飯を食っていく』

『WEBで飯を食っていく』

という言い方はどうしても、社会の意識レベルでも、ホームレスに近いくらいの低いレベルに聞こえてくるのです・・・・。

なぜだろうか・・・・。












逆に、愛で生きる人間は、自由に見えます。

自由に冒険し、自由に望みます。

お金の意識があっても、常に自分の心を優先にして、そして、判断するのです。


美味しいものを食べたり、好きなものを買ったりして、音楽を聴いたり、ライブに行ったりして、そのために頑張る。

自由な心で望み、自由に生きているように僕は思います。



さらに自分の好きなことを追求し、さらに自分の好きなことに責任を持っていくと、

それはさらなる深い愛で生きる人間だと感じてます。


アーティスト、作家、漫画家、クリエーター、スポーツ選手と呼ばれる人たちがそうなのではないでしょうか。


彼らはそれだけを毎日やっているのではなく、きっといろんな娯楽ややりたいことを経験して、

さらにそれに活かしていくのです。


もはや、お金という意識はないでしょう。


それは比較的高い意識レベルだったりして、お金というのは気がついたらできているようなものです。



あと、恋愛や異性を望んでいく人たち、愛しき人がいる人たちも、愛で生きる人たちの範囲内だと私は思います。

彼ら彼女らは、恋人のために、異性のために、自由に選択し、そして、自然に恋愛へと発展していきます。

そして、彼ら彼女らは、恋人のためにお金を費やしたり、愛しき人のためにお金を使ったりして無意識に喜び、人生の活力にして頑張ることに目覚めます。

逆に浮気や慰謝料の請求、親権といった事柄も、それは彼ら彼女らの愛の選択だと思いますよ。

恋人や愛した人に裏切られ、お金で解決することで、彼ら彼女らの気持ちが静まる。

そのくらい愛しあって、そのくらい大切に生きてきたのではないでしょうか。

そして、彼ら彼女らはまた新しい人を求めていく。


意識レベルでは、お金で解決、もうどうでもいい人って思っていても、無意識では、異性や愛を求めていたり、裏切られた気持ち、悲しい気持ち、放心とした気持ち、怒りの気持ちが隠れているのだと思います。

しかし、それは学びであることに気づかず、全てお金で解決して流してしまっては、
きっとその人はそれに気づくまで永遠に似たような人たちや事柄を引き寄せていくでしょう。


結局、真実というものはお金なんて存在しなかったりするんです。。

ただ、そこにどのような気持ちがあるかで、お金が流れているように見えて、

お金しか見えなかったら、結局、また低い社会レベルに支配されていることになんら変わりないのです。

愛で生きる人たちは、お金で解決したら、その経験を活かして次に幸せを求めようとする人たちです。

それがずるくてネガティブな思考でも、それが比較的ポジティブな思考でも、

愛を選択して生きようとしていることになんら変わりないのです。





社会を見て、テレビを見て、人間を見て、

本当は世界は社会はお金で成り立っているのかー


って考えてしまったら、きっとその人はお金に対して恐れ、

きっとその人はお金に支配されて生きている自分がいるのだと、

私は思いますよ。







さて、先ほどの

『~で飯を食っていく』

という言い方が下品だと言ったお話ですが、

もし、意識レベルの高い言い方をするなら、

『~で飯を食っていく』という言い方はやめて


『~で生きる』

という言い方の方が、個人的に高く素晴らしいのではないかと思います。

ご飯食べるためのツールとではなく、


『~で、自分はこれで今生きる!』

っという言い方が強い決意を感じ、

とても自分の人生に堂々向き合うような意気込みと魂を感じたりもします。

私はこれからこの言い方で行こうと思います。


だって、人生で起きている時間ほとんどが仕事をしている時間なのですから。









さぁ、




今からでも


愛か?


お金か?



しっかり選択して生きていきましょう。




魂の世界から幸せと愛で満たし、豊さを引寄せていく究極悟りプログラム
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/entry-11831276085.html




天界のエナジーを受けて、幸せと充実さを現実化させていくスピリチュアルワーク(京都、東京)
http://ameblo.jp/spiritualtraveler/entry-11828199752.html
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プロフィール

スピリチュアルな旅人

Author:スピリチュアルな旅人
現実は魂の学びのため、幸せのため必要としているのだと思います。

だから、無駄な人生だとか無駄な時間だとか、そういう考え方ってなかったりする事に気づくことで、世界は自分で変えられることが分かってきます。

全ては自分が創り出していくことを覚えておくと、この先、楽だったりもします。


人生如何に楽しめるか・・・いかに幸せになれるか・・・それが大切です。

そんな暇人が口説くスピリチュアルなブログです☆

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